明治維新以来、各藩の旗印が引き続き使われてきた。明治3年の4月に駒場野操練場で行われた明治天皇の閲兵で、陸軍は初めて統一した旗を使用した。「聯隊旗」として16本の光線をもつ旭日旗が採用されたが、その寸法は縦4尺4寸(約133cm)、横5尺(約151cm)という非常に大型のものだった。この時に使用された旗は同年5月15日の太政官布告第355号で「陸軍国旗並諸旗章」として制定された。駒場野操練場で使用された「聯隊旗」は「陸軍御国旗」と規定され、のちの軍旗の嚆矢となった。
明治6年、陸軍卿山縣有朋はフランスの制に倣った「軍旗」を提案した。右大臣であった岩倉具視らの裁可を経て、天皇から歩兵聯隊へ軍旗を授与することが決定された。明治7年1月23日、帝国陸軍初の軍旗が近衛歩兵第一聯隊・第二聯隊に親授された。明治7年12月2日、太政官布告第130号で歩兵・騎兵・砲兵聯隊の軍旗が制定された。制定された軍旗は16条の光線をもつ縦2尺6寸4分(80cm)、横3尺3寸(100cm)の旭日旗で、周囲を金モールで縁取り、3方に紫色の房を垂らしたものだった。旗竿側の下部には、聯隊名が記された。竿は千段巻の黒漆塗りで、先端には三方面に打ち出した菊花御紋章が付けられた。
明治18年3月9日、後備歩兵聯隊軍旗が定められた。後備歩兵聯隊軍旗は、3方の紫房を赤色に改めたものであった。同時に、砲兵聯隊軍旗は実際に授与されることなく廃止された。
明治29年11月18日に、初めて騎兵聯隊へ軍旗が授与された。それに合わせて規格の改正が行われ、実際に授与された騎兵聯隊軍旗は明治7年当初制定されたものよりも小ぶり(2尺1寸四方)のものとなった。
帝国陸軍において、軍旗は唯一無二の存在であった。天皇から親授された軍旗は、戦場では天皇の分身であるとされた。軍旗についた傷はすべて聯隊の名誉とされ、補修や交換がされることは決してなかった。よって、歴史ある聯隊の軍旗は、旭光部分が消失し房だけの状態になっていた。終戦時には、ほぼすべての軍旗が奉焼され、敵側に軍旗が奪われることは無かった。唯一、靖國神社遊就館には歩兵第321聯隊の軍旗が完全な形で現存している(竿のみ複製)。
「軍艦旗」は軍艦の艦尾に掲げられる、その船の中で最も大きな旗である。英語ではEnsign(エンサイン)と呼ばれ、軍艦の所属する国籍を示す海軍の国旗である。日本海軍の軍艦旗はいわゆる「旭日旗」が有名であるが、海軍が発足した当初は軍艦旗に「日の丸」が使用されていた。
明治3年10月3日、明治政府は太政官布告第651号によって「海軍御旗章国旗章並諸旗章」が制定され、「御国旗」として日の丸が定められた。これが、後の軍艦旗に当たるものである。その寸法は縦7尺8寸、横1丈1尺7寸、日の丸の直径は縦の5分の3とされた。
いわゆる「旭日旗」が軍艦旗として制定されたのは、明治22年10月7日のことである。勅令として制定された海軍旗章条例によって規定され、陸軍の軍旗と同じく16条の光線を持つ旭日旗が軍艦旗となった。以来、帝国海軍の艦艇には軍艦旗が掲揚された。諸外国の海軍には、海戦中にメインマストへ大型の軍艦旗を掲げる慣わしがある。帝国海軍においても、戦闘中は通常の軍艦旗に加えて、メインマストに巨大な軍艦旗を掲げ、これを「戦闘旗」と称した。戦闘が終了すると戦闘旗は降下された。勝利した海戦で使われた戦闘旗は「記念軍艦旗」として保存された。
敗戦後、新憲法の規定により日本は陸海空軍の保有が禁じられた。しかし朝鮮戦争の勃発やソ連邦の脅威から再軍備に迫られ、昭和25年8月10日、警察予備隊令により軍事組織である「警察予備隊」が発足した。昭和26年には警察予備隊の様々な旗が規定され、旧軍の聯隊旗と全く同じ大きさの「連隊旗」(縦80cm、横100cm)が定められた。この連隊旗は、普通科連隊は赤地、特科連隊は黄地の旗面の中央に、警察予備隊の帽章である「旭日章に鳩」のマークを染め抜いたものであった。下部の数字は連隊番号を示していた。
その後、昭和27年7月13日の保安庁法によって警察予備隊は保安隊・警備隊に発展した。保安隊の各種の旗は昭和28年に制定され、サイズ(縦87.5cm、横108.9cm)、帽章マークのデザイン、連隊名の記入方法等に変化があった。
さらに、昭和29年6月9日の自衛隊法によって、陸海空自衛隊が発足した。自衛隊法施行令によって「自衛隊旗」が制定され、連隊旗に代わって各連隊に授与されることとなった。新しい自衛隊旗は「旭日旗」のデザインをもつ旗で、中央から8本の光線が出ている。旗の縁は金色で囲まれている。旗のサイズは保安隊の連隊旗と同じであるが、旗はあくまで「自衛隊の旗」とされ聯隊名の記入は為されないこととなった。
昭和27年の保安庁法で、新たに海上を警備する組織として警備隊が発足した。警備隊が使用する艦船には、艦旗として艦尾に日の丸が掲揚されたが、警備隊の所属であることを示すために警備隊旗が定められた。発足当初はデザインが決まらず、国際信号旗の変形で代用してきたが、昭和27年11月、7本の青い縞模様の上に赤色の桜花を描いた「警備隊旗」が定められた。警備隊旗はメインマストの斜桁に掲揚された。
昭和29年の自衛隊法施行令によって、「自衛艦旗」が制定された。そのデザインの決定には紆余曲折があったが、結局旧軍の軍艦旗を継承することとなった。現在の自衛隊の艦艇には、艦尾に自衛艦旗、艦首に国旗(停泊中)が掲揚されている。
昭和29年に航空自衛隊が発足したものの、航空自衛隊旗の制定は昭和32年に入ってからである。航空自衛隊の旗は、空色地に金色で帽章のデザインをあしらったものである。航空自衛隊旗は過去に何度か変更があったが、現在の旗は昭和47年の制定である。航空自衛隊旗は観閲式で用いられる他、航空幕僚長室に掲げられている。
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