即位礼正殿の儀で掲げられる旛類

古代の日本において、天皇の即位や新年の祝賀行事では大極殿に多数の「宝幢(ほうどう)」が飾られた。「銅烏幢」は、広場に面した天皇の正面に建てられた。その両脇に置かれた「日像幢」と「月像幢」は、太陽と月を象ったものであり、太陽を示す金の円盤には八咫烏、月を象徴する銀の円盤には蛙と兎が描かれていた。7個の輪は相輪とよばれ、仏教の象徴でもある。その外側に「四神旗」が掲げられた。四神は東西南北を守護する霊獣であり、それぞれ青龍、白虎、朱雀、玄武である。これら7本の「宝幢」は、701年に文武天皇が朝賀の儀式で使用したのが嚆矢とされ*、孝明天皇の代まで形状を凡そ変えることなく使われた。これらの意匠は、中国の皇帝が使用したシンボルの影響を強く受けていた。

国立公文書館蔵『禮儀類典圖繪 上』より。左から蒼龍旗、朱雀旗、日像幢、銅烏幢、月像幢、白虎旗、玄武旗。
国立公文書館蔵『禮儀類典圖繪 上』より。左から蒼龍旗、朱雀旗、日像幢、銅烏幢、月像幢、白虎旗、玄武旗。

*『続日本紀』における記載は、「天皇御大極殿受朝、其儀、於正門樹烏形幢、左日像青龍朱雀幡、右月像玄武白虎幡」との表現であり、銅烏幢が烏形幢と表現されていること、日像・月像についても幡と記載していることなどから、形状は後世のものと異なっていたとする見解もある。

明治天皇の即位の際には、王政復古を受けて中国由来の装飾を廃し、日本古来の意匠を復元する試みが行われた。日本神話の『古事記』に由来する真榊をモデルとした「幣旗」が作成され、かつての宝幢に対応させる形に置き換えられた。これは、天の岩戸の隠れた天照大神に対し、真榊に鏡・玉・剣を飾り祭りを行ったとの伝説によるものである。鏡・玉・剣は三種の神器であり、天皇のレガリアである。

国立公文書館蔵『戊辰御即位雑記付図4 高御座幣旗等図』より。
国立公文書館蔵『戊辰御即位雑記付図4 高御座幣旗等図』より。

明治42年、皇室令第1号として「登極令」が制定され、皇室の儀式が法制化された。「登極令」附式により、即位礼を装飾する旗の旗の細目が定められた。この法令による最初の儀式となったのは、大正天皇の即位(大正4年)である。天皇の正面には日像纛旛(にっしょうとうばん)、月像纛旛(げっしょうとうばん)が掲げられ、その後方には三足の烏を描いた頭八咫烏大錦旛(やたがらすだいきんばん)と金の鵄を描いた金鵄大錦旛(きんしだいきんばん)が飾られた。烏と鵄は日本神話において初代天皇を導いたとされる重要な鳥である。万歳旛(ばんざいばん)も古式に則り復元され、大礼の総裁をつとめた伏見宮貞愛(さだなる)親王が筆耕した。さらにその後方には、5色の菊花章中錦旛・小錦旛が掲げられた。これらの旛は戊辰戦争でかかげられた錦旗を模して考案されたと伝えられる。これらの旗は若干の修正を加えられ、昭和天皇の即位礼(1928年)でも使用された。

平成の即位礼で用いられた旛類。中央が万歳旛、その左右に日像纛旛、月像纛旛。その外側が菊花章大錦旛。その外側が菊花章中錦旛、菊花章小錦旛。
平成の即位礼で用いられた旛類。中央が万歳旛、その左右に日像纛旛、月像纛旛。その外側が菊花章大錦旛。その外側が菊花章中錦旛、菊花章小錦旛。

 

 

戦後、皇室令は全廃され、天皇の儀式の細目を定めた法令は無い。しかし憲法の認める範囲で従来の様式が踏襲されており、上皇の即位に関する儀式は登極令に則り実施された。平成の即位礼(1990年)では政教分離の原則に従って、国家主催の儀式から神道に由来する意匠を除去することが求められた。先帝の時代にあった神道に由来する二羽の鳥は金の菊花紋章に取り替えられ、万歳旛にあった鮎と甕は姿を消した。今年の今上天皇即位儀式でもこれらの旛が使われる。

 

参考

「令和の即位礼正殿の儀に掲げられた旛と新設された上皇旗・皇嗣旗について」(日本旗章学協会発行『旗章学』第1号(2020)所載)

 “The Japanese Imperial Standard and Ceremonial Flags of the Emperor”, (北米旗章学協会(NAVA)発行 Vexillum 7 (2019) 所載)

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