日本の国旗は、白地に赤い丸を描いたものである。「日の丸」や「日章旗」の愛称で呼ばれ、太陽を象った旗である。日の丸は、国名「日本」や「日出づる国」に通ずるものとして、古くから日本人に好まれてきた意匠である。
日の丸の起源は不明な点が多いものの、鎌倉時代にはすでに武士たちが用いた扇に描かれていたことが知られる。また、戦国時代には多くの武将たちが旗印に日の丸のデザインを用いた。江戸時代に入ると、幕府が御城米を輸送する船の旗印として日の丸を採用した。
国旗としての日の丸が誕生したのは嘉永7年のことである。嘉永7年7月9日の触書で、「日本総船印は白地日之丸幟」と規定された。この年、幕府は日米和親条約を締結し、鎖国政策が終了した。他国との交流が盛んになることを見越して、日本の船に掲げる旗を定めたものである。
その後、安政6年1月16日の触書で、「御国総印は、白地日之丸の旗」と改められた。「幟」から「旗」へ、旗の形状が近代的なものに改められたのである。
明治維新を経て、新政府も国旗を日の丸に決定した。明治3年1月27日には太政官布告第57号として商船に掲げるべき日の丸の規格を定めた。同年10月3日には、太政官布告第651号として海軍の艦船に掲げる日の丸の規格が決定された。両者の間には表1に示すような規格の差があった。
表1 国旗の規格
縦横の比率 | 日の丸直径 | 日の丸の位置 | |
太政官布告第57号 (商船用) |
7対10 | 縦の5分の3 |
旗面の中心から旗竿側に 横幅の100分の1偏した位置 |
太政官布告第651号 (海軍用) |
2対3 | 縦の5分の3 | 旗面の中心 |
2つの規格の日の丸が存在したことで、長らくどちらが正規の国旗であるかについての議論が生まれることとなった。その中で、昭和5年12月15日に内閣より出された通達で、国旗の規格は「太政官布告第57号型」の日の丸を用いるべきとの結論が出された。
一方、戦前に国会に提出され、後に廃案となった『大日本帝国国旗法案』では、国旗の縦横の比率は2対3としており、日の丸の直径は縦の5分の3、その位置は旗面の中心に一致するとした。さらに戦前の国旗の本においても、旗の縦横比が2対3である「太政官布告第651号型」日の丸を支持し、掲載しているものも多くあった。
戦後は、海軍関係の法令が廃止されたこともあって、「太政官布告第57号型」の日の丸が正規の国旗として認識されるようになった。しかし、この布告による縦横7対10の規格は、世界的に類を見ないものであり、オリンピックや国連などの国際舞台では不便であることが指摘された。
そのような意見もあって、平成11年8月13日に公布・施行された『国旗及び国歌に関する法律』では、「太政官布告第651号型」の日の丸が採用されることとなった。
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